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「胆管癌」12時間の手術をした父 翌々日にはもう廊下を歩く練習を自ら始めた!

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実家の父の体調が良くなくて、体重が38キロになってしまったことは
以前ちょっと書いたことがあるんですが、
先日、その癌を取り除く手術をしました。

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父の3度の癌 リンパ腺癌~すい臓癌~胆管癌

父は10年ほど前だったか、
リンパ腺癌をしまして、抗がん剤で幸い良くなったのですが、
その後5年ほど前にすい臓がんの疑いで手術したことがありました。

すい臓は癌が見つかった時点でもう手遅れのことがほとんどのようですが、
リンパ腺癌の経過観察中だったので、
早期でみつかり、
手術後の細胞検査で、癌なのか良性なのかわからないボーダー線上にあると診断されました。

ただ、その後5年もそれなりに元気に過ごしてきたので
あれはおそらく癌では無かったのでしょう。

リンパ腺癌の治療後も、すい臓がん(疑い)の術後も、
田舎者で昔人間の努力家の父は、
入院中自分から病院の敷地内をどんどん歩き、
退院するときにはもうすっかり入院前の体調に戻して退院しました。

胆管癌 余命1年の宣告

そして今回、その5年前のすい臓がん(疑い)の経過観察途中で
胆管癌がみつかりました。

みつかったのは6月末ごろです。

あの川島なお美さんと同じ癌です。

今回はすい臓のときと違ってはっきり癌細胞が出ました。
余命は1年とのこと。

胆管癌は生存率が低い癌です。

父も母も妹もみんな、父の年齢(82歳)から考えて
今回手術すればそのまま筋力が衰えて寝たきりになる可能性が高いと言って、
手術を拒んでいました。

主治医の先生にも何度も「本当に手術しなくてもいいんですね?」と聞かれていたのに
「はい手術はしません。」と答えたのです。

私はそれに対して大きい疑問を持っていました。
手術が出来ないほど進行していたら、それは手術しない選択でも仕方ありません。

でも先生の話では数ヶ月単位で検診してたので
癌は転移は無いだろうということ。

病室

転移は無さそう ならば迷うことは無い 手術しか道は無い

この場合、癌を取り除くか死ぬのを待つことの2つの選択肢しかありません。

それならば、手術するしか道は無いのでは無いでしょうか。

私はそう思ったので父に伝えました。

「お父さんは死ぬのは嫌でしょ。

死にたくないから悩んでるんでしょ。

今は体に悪い部分があるから、気持ちも落ち込んで何もやる気が起こらない。

だから手術もしないと決めたかもしれないけど、
手術して悪い部分が無くなれば気持ちに元気が出てきて、
また以前のようにどんどん外を歩こうと思うはず。

歩けば寝たきりなんてならないし、
寝たきりになるかも?なんて心配しなくていいから
私は手術することを勧める。

手術しないで死ぬのを待っても後悔が残るだけだから。」

父は「分かった。」と言い、
その後手術に耐えられる体力があるのかどうか等の検査を経て、
手術することに決めたのです。

ただ、父は私が手術することを後押ししたことを覚えていません。
病気に意識が行ってしまってて、
上の空だったりしたのでしょう。

でも、それでも私は構いません。
「ありがたい」と思われたくて自分の考えを伝えたわけでは無いのですから。

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12時間の手術

それまで悩んで悩んで落ち込んでしまっていた父は、
急に気力を取り戻し、先日入院し12時間の手術を受けました。

手術中に2本の内、右動脈の炎症がひどく切れてしまったため、
左手の撓骨動脈(とうこつどうみゃく)を代わりに入れることになりました。
胆のう、すい臓、胆管、十二指腸、胃の一部、小腸の一部を取り除き、
胃と小腸をつなぎ、
肝臓から出る胆管の残りも胃につなぎました。
すい臓が無くなったので、今後は毎日4回自分でインシュリン注射をしないといけません。

これからの暮らしが大きく変わってしまいますが、
手術して分かったことは、転移はやっぱり無かったとのことで、
手術して良かったと思います。

後の回復は父の努力次第ですが、
大手術だったのでまだまだそういうことは先のことだと思っていました。

手術翌日 会話はしっかり

手術翌日お昼ごろまではICUにいて、
その後病室に戻ったので夕方お見舞いに行きましたが、
つらそうな顔はしていましたが、会話はしっかり出来ることに驚きました。

手術の翌日だと言うのに、
「75歳以上は病院代が安くて助かるけど、
これからの人はこんな安く済まないようになって来るから、
ななえのことも心配だ」と言い出す始末。(笑)

大きい手術をしてまだ1日しか経ってないのに頭はしっかりしています。

ちなみに父も母も、私の夫の収入や賞与退職金が無いことなど一切知りません。

みんなに迷惑をかけたと言って
父が突然泣き始めたので、私はとまどってしまい話題をそらせました。

あぁいう時じっくり聞いてあげるのが良いのでしょうが、
父のそういう姿は初めて見たのでどうしたら良いかわかりませんでした・・・

手術から2日目 廊下を歩き始めた

その翌日はどうしても外せない予定があったのでお見舞いには行けませんでしたが、
妹の話によると、
もう既に廊下を歩く練習を始めたそうです。

ベッドも起こして自分で水を飲んだりと、ものすごく頑張っているそうです。

(参考までに・・・
大動脈瘤の手術をしたときの夫は「ふらつく」とか「ちょっと待って」等と言い訳して
3日間全く歩こうとしませんでした。汗
夫は50代、父は80代。
夫の手術は4~5時間、父は12時間でした。)

胆管癌は初期の場合でも、5年生存率は6割ほど。

胆管癌生存率※出典 ganjoho.jp

私が30歳の時になった子宮がんの生存率(初期の場合9割以上)とは大きく違います。

子宮がん生存率

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努力家の父だからこれからも全力で頑張るだろう

退院後も大変な生活が待っていると思います。

田舎者の父は親元を離れ、神戸という都会に出て、
三大財閥系企業に就職し、
家族を養うためにそれだけにとどまらず、ある芸術の専門分野を極め、
その収入は本職を上回り、
その二足のわらじのおかげで私も妹も関西では誰もが知っているお嬢様学校に行かせてもらえました。

でもその当時、それを私は当たり前だと思っていて
父を疎ましく思う子供時代でした。

後で振り返れば、それは母が父の愚痴を頻繁に言っていたので
それにマインドコントロールされてしまっていただけだと思います。

母は専業主婦でしたが、現代のように働く女性であったとしたら
仕事人の苦労を理解できる人間であったはずだし、
父のありがたさがよく分かったはずだと思います。

大人になってみて、
今は自分の目で父を見ることがやっと出来るようになりました。

とにかく父の人生は努力努力の人生だったと思います。
だから退院後も父は頑張り続けるでしょう。これからは健康のために。

私は運のめぐり合わせで、今こんな人生になってしまっていますが、
人生諦めてはいません。

今のつつましい努力は必ず実を結ぶと思って生きています。

私など父の努力の足元にも及びませんが、
素晴らしいお手本がこんなに身近にいてくれることを嬉しく誇らしく思います。

今まで何の親孝行も出来ていませんが、これからはもっと父を大切にしようと思います。

早く元気になって欲しいです。

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