帰省してきた人に張り紙があったのは、どこでしたっけ?
そういえば春ごろは、自粛警察もよく世間を騒がしていましたよね。
その次はマスクをしてない人の事ばかり気になったり、
今度は他人の帰省が気になる人がいたり
そうかと思えば、マスクやトイレットペーパーや、
今はイソジンを買い占めたりと、
最近、理解できないことがたくさん起こる世の中になってしまっています。
すべては承認欲求のなせる業かも
承認欲求が強すぎる人は満たされない
他人のことがとても気になる人って、
きっと本人は良いことをしている気持ちでいるから、悪気は無いんでしょうが、
実はそういう人は、自分で気づいていないかもしれないけど、
心の底でこの世を生きづらいと感じているだろうな。。。
張り紙する人も、トイレットペーパーを買い占める人も同じです。
良いことをしているつもりなのに、なぜかいつも満たされないって変だと思いませんか?
承認欲求はやっかい
そう言えば、パートの職場にも
他の人のすることが気になって仕方なくて、
すぐ上司に、細々したことをいちいち告げ口 報告する人がいます^^
最近も同じことがあったらしくて、
「まだ相変わらずそんなことやってるのか~」・・・と思ったんですが、
その人たちの共通点は、自分で自分を認めることができていない人ですね。
誰がほめてくれなくても、自分で自分を認めることが出来ていれば
いちいち告げ口するなんてことはしないでしょう。
告げ口することで、一時的に承認欲求が満たされても、
結局、自分で自分を認めてなかったら、すぐ心が飢えてしまいます。
自分がいま幸せを感じていて、自分はこのままの存在でイイと思えていれば、
他人のことばかりなんて気になりません。
こんなテーマもあります。
>>日常の小さなできごとを愛する生活
人に対する親切は自分の承認欲求を満たすため?もっと満たされなくなる悪循環
親切は自分のためじゃない 相手のためにするもの
うがい薬を買い占めるお年寄りは、
自分の承認欲求を満たすために大量に買って、子供や孫やご近所に配るっていう記事が出ていました。
>>「情報弱者」と指弾はできず?うがい薬を買い占める高齢者の実態
でも自分でその心理に気づいているお年寄りは、めったにいないでしょうね。
本人は親切のつもりです。
本当の親切って自分のためにするんじゃありません。
相手が本当は何を欲しがっているかを、しっかり見極めたいな~って思います。
承認欲求と幸せの割合は反比例するのかも
誰だって人に認められたいと思う承認欲求はあります。わたしもあります。
でもそれが行き過ぎると、自分が自分を苦しめてしまい、
生きている今のこの時を幸せと感じられません。
承認欲求は人間にとって必要なものですが、上手に利用しないと承認欲求に振り回されてしまい、
その結果、孤独がどんどん深まり、
ますます承認欲求が強くなるループに陥ってしまいます。
このように考えることができるようになってから、
わたしは他人の言動が気にならなくなり、とても楽に生きられるようになりました。
承認欲求は無くなることはありませんが、上手にコントロールできるようになります。
他者にばかり目を向けるより、熱中できることがみつかれば承認欲求はあっというまに減っていきます。
適度に承認欲求が減ると、
自然に「幸せ」で心が満たされてくるのを感じることが出来ます。